キレイ書けなくても取りまとめる

こんばんはSPOTLIGHTです。


本当に下書きみたいな記事投稿ですみません😣💦


でも、絶賛母子密着な子供を抱えながら隙間時間に書く、とにかくやってみる調整中

今の時代ならきっとあとから投稿修正できますからね❗

実は私はTwitterも作ってるんですいつか連携します🎵

切り替えできないことの闇 

こんにちはSPOTLIGHTです。
最近不登校の娘を観察して気づいたことを綴ります。

不登校になりやすい思考があります。

~傷つきやすい~
他の人は気に止めず流せるこてもコントロールできると感じている。

その裏には大きな期待がある
(思い込み、こだわり)

こうしてくれるだろう
こうなる予定だろう

それらが思い通りでなかった時にADHDの反応で怒りそしてASDの反応で悪く捉える。
ああ…やっぱり私なんて大事にされない。世の中生きてても良いことなんてない。

嫌なやつ、嫌なことを言われた編)
一般の人でも、ルール守らない人やなんか気分屋の人がいるとモヤモヤしますよね。でも、嫌だなと心で思っても仮面をつけて大人対応で流しますね。もしくは、次からその人との距離感を取りますよね。知り合い程度、友達、親友、家族みたいな分類がうまくできないからすごく直に相手の影響受けるのかなと感じます。

親しい人に予定を断られた編)
これも相手にも予定や選ぶ自由があると分かってたら、じゃあ他の人と遊ぼうとか自分でどこかでかけようと選べる訳です。
しかし、断られた→ハートアタックで寝込む。切り替え行動しないからモヤモヤする。
日々が狭い範囲の選択肢になってるから他の切り替えができない。沢山の切り替えを持っておくのが大事だなと感じます。

夏休みあけの再不登校

こんにちはSPOTLIGHTです。

長期休み明けの不登校はよく聞きますがわが娘も再び不登校になりました。その理由がいじめや勉強ではなく、決められた時間に決められたことをするのが嫌だ。

 

点要するにマイペースに好きなことをしてたい訳ですね。

 

我が子が不登校になったきっかけのおおもとは学習がついていけなかったり、男子のからかいがあったと本人は言っていますが……おそらく不安から母子密着、そしてマイペースな生活を家で過ごしてきて自分の興味があることはやりたいけど、労力かかることはしたくないといったところかなと見えます。

 

根本はADHDASDやLDがあっての苦手さかもしれませんが親はゲームやアニメばかりに興味を向けてしまうことに悩みます

不登校と入院 ~外出・外泊編~

こんにちは、SPOTLIGHTです。娘は入院生活に慣れてくると土日に外出が許されるようになりましたが、10:00~15:00と時間も決まっていました。

 

外出から帰って来ると娘は自分の作業療法で作ったビーズを見せてくれたり、2人部屋で1人だったんが年下の子供と2人になったとか、4人部屋になったとか共同生活している子供の話をしてくれました。その年下の子が気持ちがよく動く子で仲良くしてたのに違う子の方にいったり、自分が仲良くする子供がいなくなると娘の方に寄ってきたりして傷ついたと語っていました。また4人部屋のお姉さんは父親がナイフを持って襲ってきた、飛び降りたとかいった内容の話を聞いたと話していました。はさみが使えないので折り紙をちぎり人形をつくっていました。ノートには好きなキャラクターと家族の絵が沢山書いてありました。

 

その後、本来なら3か月は入院となるのですがコロナの関係で完全面会禁止になったり、私が風邪症状があったため病院に戻れず強制退院となってしまうのでした。ですが、入院経験は自分で片付けしたり、人間関係を学んだり、娘の特性がよくみえてくる良い体験だったと思います。娘は傷つきやすくそして悪く捉えてしまい、いつまでもそれを引きずってしまうのだなと・・・。

 

本来は病院生活は学校復帰のためにあるので、しっかり入院すれば本人の困り感も分かり学校とも連携し養護教諭・担任・教頭先生も退院するときには面談に来たりするようですがそれができなかったので我が家の学校復帰はまた放浪するのでした。

とりためた記録ノート

こんにちは、SPOTLIGHTです。

不登校を体験して今は約2年。娘は6年生になりました。途中経過地点真っ最中。娘の言動を記録して取りためてきたノートも3冊目に入りました。

時々こうして記事に起こすため見返すと悲しい気持ちや混乱して書いた気持ちがあるなと感じます。なんか苦しいんですよね……診断・入院・投薬・付き添い登校・癇癪・巻き込み・仕事を正社員で働けない事などすごくいろんなことがあった。

障害がある子供の母親が普通に働くことができないのはなぜ?苦しいことをドクターはじめ、いろんな場所に助けを求めてきたが、ああそういう支援はないのだなと実感するのでした。

そう、今の日本の制度では祖父母の助けがないと母親が一人で子供の不登校と付き合うのだなと分かって来るのでした。

もちろん、適応指導教師、フリースクール、放課後等デイサービス、精神科デイなどありますがそれすら嫌がり、外に出ていけない子供には差し伸べる手がなかったのです。習い事のプールや絵の教室もいかなくなり、ひたすら子供の人形遊びをしているとき自分も娘もこのままどうなるんだろうと悲しかったことを覚えています。

そして今、訪問支援が介入されました。訪問看護です。週1回ですが一緒に遊んでもらっています。買い物すらせかされたり、1時間も離れられなかったりかなり娘の不安に巻き込まれた日々もありましたが、娘のことがよくわかるための時間だったんだなと今は思えます。

診断ついても支援につながれない人もいっぱいいるだろうから、もっともっと発達障害が理解が広がって少数派などというレッテルがなくなる社会になりますように。

 

 

 

 

~なかなか進まない記事投稿~

すごーく夜更けの「こんばんは」

発達障害の子供を育てながら、仕事、家事と忙殺されながら過ごしていると。

 

まとまったら書こう

見やすくきれいなものにしなきゃ

仕事の一段落ついたら

いつも自分の希望や表現したいこと(伝えたいこと)を我慢で見なかったフリをしていた気がします。

 

不登校といってもいろいろなパターンがあるでしょう。

学校に行かなくても家ではある程度リズムを作り学習できる子供もいればそうでない子もいる。親が主導になりコーチのように尻を叩いていかないと進まなかったりですね。

 

”こだわりパターンが強くやりたいことが優先”

”やらないといけない事はあとまわし”

”やりたいけど結局他の”やるべきことを優先”

わずかしかできないもしくはやらないで終わっててしまう

どっちもなんか中途半端ですよね。でも、娘のがストレス値は低そう(笑)

ふっと携帯の検索にヒットした精神科医の本田秀夫先生の記事。

diamond.jp

 

そんな訳で、私はとうこう(投稿)を娘はとうこう(登校)を頑張れるような今日の

1日をスタートしようと思います。

 

登校とは・・・生徒がその日の課業のために学校に行くこと

課業ができればいいのだから別室登校・適応指導教室フリースクール・図書館・

家、場所はいろいろありますね。

 

それではまた(^_-)-☆

 

不登校が始まった日(小4)

ちょうど、2年前。6月21日でした。この2年ぐらいは記憶もあまりないぐらい壮絶でした。今振り替えれば、自分でもよくやってきたなと思います。
不登校が始まると
①まずは働くことができなくなりました。初めは学校に行けなくてもいいから、職場の学童にと連れて行っても車から抵抗しておりないんです。だから職場の上司と手を引っ張って降ろしました。この時、ああ…もう迷惑かけられないから辞めようと思いました。幸い、職場の理解があり月4回ほどでも良いから来てと言ってもらえ働くことは続けられました。
②とは言え、1日の大半を子供と過ごすの息が詰まります。しかも、娘は一人っ子。居場所探しに奔走しました。適応指導教室からフリースクール行ける所は一巡しましたが娘は通えず、結局入院することに至りました。
③私自身もストレスから腎盂腎炎、口内炎…と病気になりました。発達障がいかなと疑ってたけど、病院に行くのは怖かった。だけど、死んでやると言ったり、暴言、父親を殴ったりするので離されることになりました。後に父親の頭ごなしな叱り方がいけないことが判明するんですがね。